「だつ帽」の工場歴まとめ!
だつ帽です。
今回はだつ帽の工場歴を簡単にまとめた工場歴を掘り下げる記事。
僕は過去に5つの派遣会社&日野期間工で合計8つの工場で働いてきました。
・日本電気(吉田産業派遣)
・日野自動車(期間工)
・日野自動車(日総工産派遣)
・岐阜車体工場(シグマテック派遣)
・豊田自動織機(日総工産派遣)
・DENSO(日総工産技能社員)
・アドヴィックス(スタッフ東海)
・アイシン(派遣)
超ザックリ計算で6~7年期間工や工場派遣で生計を立てていることになります。
ただし、連続して各工場を渡り歩いたわけではなく、途中で会社員を挟むなど、工場以外でも働いています。
現在は派遣として愛知県のアイシンで働いてきましたが、2024/6月で契約更新せずに、一度沖縄へ帰ることにしました。
またどこかの工場で働きますが、せっかくなので自己紹介も兼ねて本記事にまとめました。
だつ帽が勤務した工場の雰囲気や環境をなども簡単に紹介紹介します。
体験談を個別に記事にまとめた工場は記事リンクを貼っておくので詳しく読みたい方はぜひご参照ください!
期間工や工場派遣求人に興味がある方の参考になると思いますのでぜひ最後までお付き合いください。
※一か月以内の早期退職した現場は除外。
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「日本電気硝子」 派遣(吉田産業)
だつ帽が初めて工場で働いたのは20代前半の頃で、滋賀県のガラス工場。
吉田産業という派遣会社に入り滋賀県にある「日本電気硝子」で働いていました。
クリーンルーム内でのガラスの目視検査工程に配属。うろ覚えですが4直体制で回す現場で固定曜日の休みはなくシフト制でした。
この時2008年。あの「リーマンショック」の年です。一気に生産が低下しました。全国的にも多くの派遣・期間工が雇止めになったと記憶しています。
「年越し派遣村」が話題になりました。当時のことを覚えている方も多いのではないでしょうか?
僕は解雇にはなりませんでしたが早期退職を促すアナウンスがありがあり、
「今退職すれば最後の給与で20万支給(正確な金額は覚えていませんが確かこのくらい)」と条件が提示されました。
だつ帽は地元が恋しくなっていたこともあり、早期退職に手を上げ、20万をもらい地元に帰る選択をしました。
人生初の工場はクリーンルームでしたが、シフト制やクリーンウェアのわずらわしさ(トイレ大変)もあって正直もう働きたくありません。
夏も冬も一定の温度に調整されているのでその点の快適さは最高でしたが、個人的にはクリーンルーム案件はもう応募しないと思います。
※日本電気硝子が今も工場派遣を受け入れているか不明。
日野自動車 期間工
だつ帽が初めて期間工になったのは「日野自動車」です。
東京に住めるかも!
と軽い気持ちで応募したのがきっかけで、運よく東京日野市の本社工場に配属になり、1年九カ月ほど働きました。
配属先がまさかの日勤のみ。夜勤なしの部署で当初はガッカリしていましたが、体に負担が少ない&東京生活で超楽しかったのを覚えています。
寮も集合寮からなぜか一般アパート借り上げ寮に格上げされ(寮費無料)、非正規工場派遣生活ではトップクラスの待遇でした。
最初はピッキング業務をこなし、半年経過後はトラック用のミラーの組付け作業。
日勤のみなので夜勤手当が全くなく手取りは高くありませんでしたが、土日休みでプライベートは超充実。
新宿まで最寄駅から一時間ほどで遊びに行ける好立地で、もしも同じ環境で働けること確定なら間違いなくもう一度働きたいです。
日野自動車の日野工場を卒業したあとは、しばらく沖縄で会社員をすることになります。
※現在は日野工場の多くの機能が移転されており、この時の体験談の詳細は記事にまとめない予定ですが、関連記事のリンクを貼っておきます。ぜひ参考にしてください!
沖縄で会社員をする
東京、日野自動車の期間工を1年9カ月で退職したのち、地元沖縄で2年ほどサラリーマンをして過ごします。
2年ほどで沖縄での生活に飽きてしまい、また工場生活に戻ります。
僕の地元は沖縄本島ですがやはり狭い……数か月生活すると飽きて県外に出たくなります。久しぶりに電車にも乗りたかったので沖縄県外へ脱出を計画。
また東京に住みたいと考えて、日野自動車期間工の面接を受けます。
日野自動車 期間工面接 落選
日野自動車期間工が楽しかったこともあり、数年後再び日野の期間工に応募。
しかしまさの不合格……なぜ。何故なんだ……
受かる気満々だったのでマジでへこみました。なぜ不採用だったのか分析して記事にまとめました。
日野自動車期間工に落ちたあと、数か月無職期間を楽しんだのちに派遣会社を通じて再び日野自動車に応募します。
日野自動車 派遣 (日総工産)
直接雇用は落ちたので、今度は派遣会社経由で日野自動車に申し込みました。
この時は、製造派遣の大手、上場企業の「日総工産」にお世話になりました。
この時配属された部署は昼夜二交代。応募理由は「時給」と「東京」に住めるから。
時給は1,700円で当時としては最高レベルの待遇に惹かれたのも理由のひとつ。
前回、期間工のときは「日野工場」でしたが今回はきついと評判の「羽村工場」で僕の工場経験で一番過酷だった職場です。
作業そのものもきついし&ムズイ&職場環境があわず、わずか3か月で退職。
逃げるようにやめて沖縄に帰り、少し無職期間を楽しんで今度は岐阜に赴任することになります。
岐阜車体 派遣 (シグマテック)
派遣会社シグマテックを経由して、主にトヨタハイエースを生産している「岐阜車体工場」で半年勤務しました。
東海地方はこの時が初めてで、配属されたのは昼夜二交代の現場。
時給は1,500円です。
岐阜車体を選んだ主な理由は寮と工場の近さを売りにしていたから。岐阜車体から徒歩三分くらいの立地にシグマテックの自社寮があり、魅力を感じたからでした。
作業内容はボディーのスポット溶接。頻繁に溶接の火花が飛び、作業服に穴が開くような持ち場でした。
工場と寮が近いのは最高で、現場の雰囲気も良好でしたが作業がきつかったため、半年で退職。
豊田自動織機 派遣 (日総工産)
岐阜車体のあとは、また日総工産にお世話になりました。
今度の派遣先は「豊田自動織機」で昼夜二交代(コロナ禍で途中から日勤のみに変更)
この時はトヨタ車体を希望して事務所に行ったのですが結果、豊田自動織機に派遣されることになりました。
初めての愛知生活で約1年ほど勤務。
作業は簡単すぎるほど簡単で、人間関係にも恵まれ超絶楽な部署。
コロナ禍ピーク時で生産が大きく落ち込み、数か月4Sや改善活動のみというある意味キツイ時期でもありました。
織機の碧南工場も快適でしたが環境に飽きたので退職。
と思ったらDENSOに移れることになり日総工産を退職せずに工場を移動することになりました。
DENSO 派遣 (日総工産)
豊田自動織機から「DENSO」にスライドしました
雇用形態が「派遣」から「技能社員」に変更。
名目上は日総工産の社員という形で無期限での雇用。
寮費&光熱費も自己負担になるなど待遇面で大きな変化がありました。
しかも月給制であまり稼げず……
無期限雇用で安定と引き換えに寮費無料の特典が無くなったのは正直大きなデメリット。
でも安定を求めるなら超おすすめの現場。
正社員で安定を最優先するなら選択肢としてアリです。
一度沖縄に戻り羽を休めて今度は愛知県刈谷市で働くことになります。
アドヴィックス刈谷工場 派遣 (スタッフ東海)
スタッフ東海を通じて愛知県刈谷の自動車ブレーキ関連の工場「アドヴィックス」で勤務。
次の更新が2022年の3月末日なのですが更新しないで退職。
岡崎 自動車製造 派遣 (スタッフ東海)
アドビックスの後は岡崎の自動車工場で派遣
所属会社は引き続きスタッフ東海。
大きな工場なのでコンプライアンスはしっかりしており、配属された部署は人間関係も今のところ良好で働きやすい感じ。
寮も個人的にあたりだったのでラッキーでしたが諸事情で退職。
※追記【2022/4/30】
退職代行サービスを利用して即日退職しました。体験談は別記事にまとめたので興味がある方はご覧ください。
アイシン 派遣
2023~2024年6月まで派遣でアイシンで勤務。
時給2,000円で寮費無料の好条件でかなり稼がせていただきました。
交代勤務で久しぶりの組付ラインでの作業。待遇もかなりよく、もう少し長く働くつもりでしたが、約9ヵ月で退職。
7月からしばらくは沖縄に帰ります。
今後の予定は未定。
僕はこれからも工場派遣で生きるかも……
だつ帽はこれからも工場派遣かも!
駆け足での紹介でしたが、これがだつ帽の工場略歴です。
非正規の工場作業員生活は不安定で社会的地位も高くはありません。
でも日本各地を渡り歩いて寮費もかからず学歴・スキル不問である程度稼げるこの生活は僕にとって超魅力的なのです。
人におすすめできませんが、僕はこれからも期間工や工場派遣の求人を渡り歩いて生きていくと思います。
これからも当ブログでは期間工・工場派遣生活情報&副業&資格について発信します。
また遊びに来てくださいね!
最後まで読んで頂きありがとうございました!
今日もご安全に!
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